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	<title>木蓮日記</title>
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	<description>WordPress ME 2.2 - Capriccioso</description>
	<pubDate>Tue, 10 Apr 2012 01:34:47 +0900</pubDate>
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		<title>峯寺の仲間が帰ってきた</title>
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		<pubDate>Sun, 01 Apr 2012 23:37:21 +0900</pubDate>
		<dc:creator>快遍</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[最初に告知
チベットの高僧、ミスター入中論ことロサン＝デレ阿闍梨（あじゃり）が、今年も亡命先のインドより来日されました。清風高校ではお釈迦様御生誕の日でもある4月8日（日）に、阿闍梨による釈尊の許可（こか）灌頂（かんじょう）が行われます。
また、奈良東大寺でも、観世音菩薩の許可灌頂が行われます。尚、主催者は京都にあるNPO法人Samayaプロジェクト21さんですので、東大寺へのお問い合わせはご遠慮ください。
Samayaプロジェクト21さんのURL　→　http://samaya.jp/
さて本題。
3月17日（土）
朝から小雨が降り続く出雲雲南地方。昼前に「ただいまー」と、一人の男性がやってくる。
「これ、父さん母さんへのお土産。これは快遍さん。どちらがどちらかわからなくなるといけないから同じ物だけどね。」
と言ってお土産をいただく。この男性Nさん、40年前に峯寺がユースホステルをしている時の、元ホステラーである。やがてNさんは「Tさんの奥さんとAさんとHさん、それに大阪のOさんが昼過ぎに出雲空港に到着する便でやってくるので、迎えに行ってきまーす。」と言って再び出て行った。
この日は、かつてのホステラーの集まり。5年前の夏にも、みんな「ただいまー」と言って帰ってきた、20名近くの県外に住む元峯寺ホステラーたち。5年前の会の時の中心人物は、今はもういない。
千葉に住んでいたTさんは去年11月、がんで亡くなった。56歳という若さである。仕事でもプライベートでも充実し、職場では先輩後輩に、プライベートでは友人たちに慕われ、みながその悲しい別れを惜しんだ。かつてともに峯寺で過ごしていたホステラーたちも同様、その人柄を偲び、葬式には関東圏域に住む元ホステラーはもちろん、関西からも数名葬儀に参列した。見舞いに至っては九州からもかけつけたほど、Tさんは慕われていたのである。
昭和46年4月、峯寺ユースホステル開設。その当時、ユース会員は全国のユースに於いて安く泊まれるということで、このユースを利用した旅は若い学生たちを中心に人気であり、これが当時の一つの旅の形態であった。今のようにホテルのシングルルームで気ままに過ごすのとはわけが違い、見知らぬ者どうしが同じテーブルでご飯を食べるのは当たり前。夜にはミーティングが行われ、それぞれの活動報告なり、自己紹介なりを話し合っていた。
峯寺ユースの特徴としては、このミーティングの時に、峯寺の娘によってお抹茶が供されることと、同じく峯寺の娘がお琴の演奏をすること。どこからともなく「峯寺ユースというところは何か面白いらしい」という噂が広まってか、便利の悪い山の上にありながら、当時たくさんの若者で溢れかえっていたようである。この峯寺の一種独特のおもてなしは、出雲からのバスに乗って峯寺馬場停留所で下車、歩いて約1キロの急坂を登ってようやくたどり着くに値するものということか。
さて、件のTさんは、確か昭和48年ころに初めて峯寺を訪れたと聞く。当時高校生だったか。ユースを利用する若者たちは、そのほとんどは2泊か3泊で次の目的地へ移動するようだが、遠来の学生たちはなかなか来れないということから、しばらく同じ場所に留まるという若者も多かったようである。Tさんは後者の方で、典型的な連泊組であったようである。
そして峯寺での生活も慣れた頃には、ペアレントをサポートするヘルパーという形で、峯寺の玄関で受付をしてくれた。Tさんがある意味峯寺の顔となっていたのである。しかもそれは誰から言われたわけでもなく、自ら買って出たヘルパーである。受付に座るTさんは、くる人来る人を温かく受け入れ、まだ旅慣れない人には周辺の情報を、また、ホステラーの心構えなどを親身になって教えていた。
昭和57年、峯寺ユースホステルは一身上の都合により閉鎖。かつて我が家のように入り浸っていたホステラーたちもそれぞれ社会人となり、独立。結婚し、子供が生まれ、仕事や家事や子育てに勤しむ元ホステラーたち。峯寺のことは頭にあっても、なかなか行動を起こすことはできない。それでも峯寺の父さん母さんが東京に出ることでもあれば、都合のつくものは集まって一緒に食事をしたり、又は、出雲出張があれば必ず峯寺に寄るという感じで、それぞれが時々父さん母さんに顔を見せてくれる。ユースのペアレント冥利につきるというものである。
月日が経ち、峯寺の父さん母さんは、一人一人のホステラー達とは時々顔を見せてくれたり電話をしたりしているので、それなりに交流はしている。関東は関東で時々峯寺ユースの集まりはしていたようだ。しかしながら、必ずしもホステラー同士の交流が盛んであったわけではない。それを結びつけたのがＴさんである。
2002年2月、Ｔさんは横浜での峯寺ユース同窓会を計画。遠くは九州からの参加もあった。Ｔさんが中心となり、もちろん峯寺の父さん母さんも老体に鞭打って横浜へ。不思議なことに、そこに集まったメンバーは皆が知り合いというわけではない。峯寺ユースを利用していた時期がずれていれば知り合いになれるはずもない。しかし、皆が峯寺ユースを利用したと言うだけで、すぐに仲良くなれるのである。同窓会と言いつつも、皆年齢はバラバラ。それでも皆峯寺を愛する仲間なのである。そのように持っていったのがＴさんの大きな功績。
続く。。。
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		<title>春めいてきました</title>
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		<pubDate>Thu, 08 Mar 2012 18:54:56 +0900</pubDate>
		<dc:creator>快遍</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[3月に入った途端、春の気配を感じることができました。まず太陽の光が春らしくなり、気温も暖かくなってきました。それと同時に鳥の声もチラホラと。ふと庭を見てみると雪解け後の汚い落ち葉。この時期雪に隠れていた落ち葉が目につくようになり、掃除も忙しくなります。
そして今日も庭の散歩中に椿を発見。

椿が咲いた、と思いきや、ふと下を向けば椿の落ちた花びらが。。。先日掃除した時には見当たらなかったのだけど、もう咲いてたんですね（冷汗）
そしてこないだまで小さかった椎茸が一気に大きくなってきました。

これも春を告げる食べ物です。今日の収穫はこれ。

峯寺の精進料理ではこの椎茸をフライにして和風タレをかけてお出ししております。蕗の薹味噌もついていますよ。写真がないのが残念。是非来てみてご覧いただき、お試しください。
最後におまけの老犬ポチ。

毛の生え代わりにしては早いと思いますが、まあ毛が抜ける抜ける。綺麗に毛づくろいされて？まだ毛むくじゃらですがいつものこと。
平成24年の峯寺行事予定もページにてアップしましたのでどうぞご覧ください。→　http://mineji.jp/blog/?page_id=398
皆様のご参拝をお待ちしております。
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		<title>峯寺の観音さん</title>
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		<pubDate>Fri, 02 Mar 2012 22:42:14 +0900</pubDate>
		<dc:creator>快遍</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[
先日神戸市立博物館での企画展、「平清盛展」に行ってまいりました。この展示会に峯寺所蔵の重要文化財「絹本著色聖観音画像」が出品されているからです。普段この観音さんは京都国立博物館に寄託しているために所蔵者である我々も滅多に目にすることはできませんので、このような出品されるときはできるだけ見に行くようにしております。
で、この観音さんが清盛とどういう関係かといいますと、、、
今回の展示会の一番の見ものと言えば、やはり清盛が広島県宮島の厳島神社に納めたという平家納経であると思います。私のうろ覚えの記憶をたどると、平家納経は清盛が平氏一族の健康と発展を祈願するために清盛自身が写経をして納めたもので、法華経三十数巻が納められています。何が見ものかと言えば、その極彩色豊かな物に書かれているということ。金銀散りばめられた和紙に様々な色を使って一文字一文字書かれている写経。豪華絢爛というのはこういうものか、と言わんばかりの彩でした。清盛は恐らくその極彩色豊かなるものによって、厳島神社に対して、また仏教に対しての信仰の強さを表現したものと思われます（これは私の雑感）。
これら平家納経に影響された豪華絢爛な仏教美術は、この時代が一番の美麗とされてきています。この美麗とされた時代の仏教美術として代表的なものに、峯寺の観音さんがあります。年数がたち色あせてきてはいますが、切金文様が随所に施されており、その姿はまさに除病息災を祈願する聖観音法修法の本尊としての表れと感じることができます。聖観音一尊として描かれているものとしては日本最古の物。この展示会の観覧者の中でこれらの仏教美術に手を合わせる人が見受けられなかったのは残念でしたが、そうした時代の信仰の表れというのが、このような極彩色豊かなものになり、この当時の仏教文化の発展の礎となったことは間違いないでしょう。
貴族と武士、或いは平氏と源氏、それぞれに様々な思惑があり、戦いの中で心の平和を求めて書かれたものが平家納経であるとするならば、峯寺の観音さんも、恐らくはそうした戦いの中で心の平和を求めて描かれたものでしょう。たまたまこの時代の信仰の価値が美麗だったのかもしれないが、信仰に価値の大小はありません。皆さんが自分の心の平和の価値に気付く努力をすれば、それが即ち信仰への一歩となることと思います。それは、観音さんの慈悲の心に表されている通り、自分のことばかり考えるのではなく、他者のことを考えることによってのみ得られる心です。
自分の心にもそのような尊い心を持ち、平和な心が芽生えるよう、そして様々な病気を除き健康であるよう祈願しながら観音さんの前で一人手を合わし、帰路にたちました。
この企画展は神戸では4月8日まで。展示替えのため、峯寺の観音さんは3月18日まで。この後、広島と京都でもありますが、峯寺の観音さんは京都でも半期出品される予定です。御縁のあるかたはどうぞご覧になり、手を合わせてください。
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		<title>節分荒れ</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Jan 2012 09:09:35 +0900</pubDate>
		<dc:creator>快遍</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[
暖かった大寒が過ぎて大雪、日本のこよみも多少ずれてきているのでしょうか？それとも節分荒れでしょうか？一昨日、昨日と寒い日が続きました。うちの寒さのバロメーターは観音堂に毎朝お供えしているお茶が凍っているかどうか(笑)昨日までの二日間は見事に凍っていましたが、今朝は凍っていませんでした。ということは今朝は昨日よりも暖かい？だけど人間は寒い寒いと言っております。
昨日の雪景色が綺麗だったので何枚かアップします。今まで結構とってきたアングルに飽きたので、少し視点を変えてみました。上手い下手は抜きにして御覧ください(笑)

観音堂の方から庫裡を望む。 

 右の大木は木蓮。春になりと綺麗に花が咲きます。真ん中の石碑は樹霊碑。毎年1月18日に雲南庭師会（前島根県庭園協会雲南支部）の皆さんにより樹霊祭が行われます。左はしだれえんじゅ。

 雪の重みで下がってきた桜の枝から向こうには木次の街を望みます。

布袋さんの向こうの縁側に何かが・・・・・
2月3日は節分。10時から節分厄除護摩供養を行います。この前3日間（31日、1日、2日）は、朝4時半から前行のための護摩を焚き、皆さんの健康を祈願いたします。節分護摩供養に参拝された方には皆さんにお札をお配りしております。豆まきもあります。また、毎月の護摩供養と同様、簡単なお食事のお接待もしております。皆様のご参拝、お待ちしております。
あと、2月26日には遊山荘の行事として、写経と座禅の会もあるようです。こちらもご参加お待ちしております。
詳細はこちら→http://mineji-yuuzan.seesaa.net/article/248614702.html
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		<title>読経の功徳</title>
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		<pubDate>Mon, 16 Jan 2012 22:36:17 +0900</pubDate>
		<dc:creator>快遍</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[昨日は斐川町西光院にて毘沙門天のお祭りがあり、出仕してきました。１１時から大般若法要にて、毘沙門様と信者の皆様祈願をお繋ぎしました。参拝者の皆さんの幸せを祈るばかりでです。
その法要のなかでお導師様が表白文を唱えられましたが、それはかつて耳にした言葉でした。以下、紹介します。
「謹（つつし）んで南無大恩教主釈迦牟尼仏（なむだいおんきょうしゅしゃかむにぶつ）、南無三世三千（なむさんぜさんぜん）の諸仏（諸仏）諸菩薩（しょぼさつ）に啓（もう）し奉（たてまつ）る　つらつら一切衆生を観（み）るに本（もと）を捨て末（すえ）を逐（お）うて諸業（しょごう）に貪著（とんじゃく）し　ここに死しかしこに生じ六道に輪廻す　吾等（われら）幸いに受け難（がた）き人身を受け　たまたま遇（あ）い難（がた）き仏法に遇う　何ぞ悠々として一生を過ごさんや　若し錯って再び悪道に落つれば何（いず）れの時か解脱することを得ん　願わくば三宝加護をたれたまい　大慧光（だいえこう）を以（もっ）てわが身心を照らし　大悲水（だいひすい）を以てわが根体（こんたい）にそそぎ　無始以来無明の業障（ごっしょう）を速やかに消滅して　上（かみ）は諸仏と等しく慈悲喜捨（じひきしゃ）の道（どう）を円満し　下（しも）は衆生と俱（とも）に常楽我浄の徳を成就せんことを」
これは発願文というものでありますが、私が生まれた臨済宗のお寺で小僧として法事に出仕した折、必ずこの発願文を唱えていました。他のお寺でこれを唱えているところがあるかどうかは定かでないですが、私の父は必ずこれを唱えていました。小僧であった私はわけもわからず参列者と一緒にこれを唱えていましたが、毎回毎回耳にたこができるぐらい耳にしていたので、昨日のお祭りの表白文を聞いてハッと思い出したのです。これは昔法事の時に唱えていたものと同じだ！！！と。
懐かしさを感じながらお導師様の唱える表白文を一字一字追っているうちに、チベットの高僧達が常に仰言っていることと同じことに気付きました。ご存じ「われら幸いに受け難き人身を受け、たまたま遇い難き仏法に遇う」というところです。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界という六道を彷徨う我々は、ものすごい確率の低さでありながら、犬畜生でなく、餓鬼でもなく、人間の生を受けたのである。しかもその人間の内でも仏法を耳にすることは本当に稀なことである。それが今自分はたまたまその仏法を耳にすることができる。あーありがたや。せっかくこの機会に仏法に巡り合ったのだから、このチャンスを逃してはならない。今まさに私たちは六道輪廻から解脱（脱出）して永遠の幸せを得るチャンスなのである。だから今生のうちに利他行（他者のために行うこと）を実践し、功徳を積み、解脱に向かって進むべきである。しかし、今この瞬間の幸せだけを求めて自分の欲求にかられることがあれば、再び地獄・餓鬼・畜生の三悪趣（さんあくしゅ）に落ちることになる。一度三悪趣に落ちたら、あまりにも苦しい世界なので利他行を行うどころの余裕はない。そうなれば善業を積むチャンスもなく、ただひたすら三悪趣の世界に彷徨い続けることになり、解脱からは程遠いものとなるのである。繰り返すが、だから人間としての生を受けてしかも輪廻から解脱する方法を説く仏法に遇った今このうちに、たくさんの善業を積んで解脱に向かうべきである。
と、こういうことです。
臨済宗のお坊さん達と色々お話を聞いていますと、輪廻の話にはあまりならないような気がします。どちらかといえば輪廻の存在を否定しているかのようにもとれるような。あるお坊さんは「輪廻とか来世とかではなく、今この瞬間を生かすことが大事である。」と仰いました。だから臨済宗は輪廻のことについては深く考えていないのだと思っていたのです。師匠であった父からも輪廻の話はありませんでした。
たまたま縁あって私が真言宗の峯寺に入り、これまたたまたまチベットと関係していることから、高僧たちのお話を耳にする機会に恵まれたのですが、チベット仏教では先述の意味を特に重要視しています。そして今私はまさにチベット仏教の勉強をしている最中なので、昨日の表白文はまさにありがたいお経であったことは言うまでもない。昔わけもわからず唱えていたものが、今この時にそのありがたさをわからせてもらえたことは、この上ない喜びでした。
わけもわからず読経していても、それを年月をおうごとに何かわかった瞬間があったとしたら、それは読経の功徳以外の何物でもないでしょう。もちろん意味がわかった上でお経を唱えるべきではあるが、一般在家の皆さんにとってはなかなかお経の意味まではわからないと思います。しかしそのお経がある時わかることがあると思います。その時に初めて真（まこと）の信心に出会うのではないでしょうか。そういう意味でも、毎朝お仏壇にてお勤めをすることは、非常にいいことだと思います。
真の信心に出会うための修行と思い、仏教徒であるからには毎日お経を唱えていただきたいと思うこの頃です。
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		<title>あけましておめでとうございます。</title>
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		<pubDate>Wed, 11 Jan 2012 09:59:15 +0900</pubDate>
		<dc:creator>快遍</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[昨年は大変な年でした。誰もが不安になるような、そういう災害がおきましたが、今年は「辰年」。昇り龍のように上がっていくような年になったらいいなと思います。経済的に昇っていくことも大事かもしれませんが、どちらかというと精神的なものが昇っていくように、祈願したく思います。
それには自分の悪しき心、仏教で言えば三毒（貪り、瞋（いか）り、痴（おろかさ））のような心をできるだけ抑え、良い行いをしていく、具体的にいえば他者のことを考えて行動することが、自分の精神の向上に繋がります。
自分が貪れば相手は自分を警戒するでしょう。自分が怒れば相手も怒ってくるでしょう。じぶんのおろかな考えを述べれば相手は自分を変な目で見るでしょう。普段自分の中にある悪い心が表に出てしまうと、相手は自分から遠ざかります。それでは自分の心は向上していきません。
むしろ相手のことを考えて行動すれば相手も自分のことを気にかけるようになり、いい関係を保つことができます。他者のことを考えながら日々精進していきたい、これが私の今年一年の目標です。いや、一生の目標ですね。この他者を思うことによる自分の心のありようを見つめていければと思います。それと専門的になれば菩提心と空性の理解も毎日かかさず瞑想していきたいと思います。
もう一つ、未だ復興には程遠い東日本の被災者の事を思い、健康祈願、被災地の早期復興を毎日お祈りしている次第です。こちらから被災地に赴いて復興のお手伝いをすることが一番いいとは思いますが、なかなかその段にいたることができず、何とも不甲斐ない気持ちでいっぱいです。せめて毎日のお勤めの時には、被災者のことを思いながらお経を読んでおります。
さて、年末年始の恒例行事、「除夜の鐘・松明行列」も無事に終わりました。行事の様子は遊山荘の支配人、大坂さんがまとめてくださっていますので、そちらをどうぞ→遊山荘ブログ「除夜の鐘・松明行列」http://mineji-yuuzan.seesaa.net/article/243786590.html
当日はうんなんシティＴＶさんがUstreamによるインターネット動画生中継も行ってくださいました。アーカイブがありますので、そちらもご覧ください。
→雲南市三刀屋町峯寺の年越しVol.1  Vol.2　http://t.co/RyR3qVO4
今年一年皆様にとって良い年となりますよう、御祈りいたします。
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		<title>他者への思いやり</title>
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		<pubDate>Sat, 24 Dec 2011 12:03:06 +0900</pubDate>
		<dc:creator>快遍</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[
久々のです。皆様お元気でしょうか？
先日から「ブログ更新してないけん見る気もおこらんわ」と言われ続け、ようやくブログ更新画面を開いた次第です（冷汗）
写真は先ほど撮った書院の雪景色。今朝は5センチくらいの積雪でしょうか？峯寺もこれからが冬本番です。冬になるとお参りも少ないですが、一人のお参りでもあればと思い、朝からえっこらえっこら雪かきしてました。5センチ程度の雪かきなら楽勝ですが、30センチになったらもうしんどくて・・・誰かの助けを求めたいです。
さて、昨日とあるおばあさんがお参り。色々お話した内容の一部ですが。
お年寄りですので色々な病院にかかられていますが、先日行かれた病院で、何ともひどいことを言われたそうで、さんざん私に愚痴を述べられました。
「あなたもう87歳でしょう。そんなことくらいで家族に迷惑かけたらいけませんよ。体は別になんとも無いようだからせいぜいお大事に」みたいな感じだったそう。
ちなみにそのおばあさん、87歳とは言うものの若気で元気。ただ年とってか、少し異変があると不安になられるようです。そりゃ、痰に血が混ざっていたら私でも不安になりますよ。そのおばあさんはできた人なのでその場は「はい、わかりました。先生のおっしゃる通りです。どうも失礼いたしました。」と言われたそう（お嫁さん談）。むしろ同行したお嫁さんの方が怒り爆発だったとのこと。
で、おばあさん曰く
「まあ、お医者さんも色んな方がいらっしゃるのはわかるけど、『87歳でもどうかお元気でね。』と優しく（ここポイント　笑）言ってくれたら患者の気持ちとしても全然違うのに、あの先生、教授かどうか知らないけど、やっぱり人徳のある人の方が私はいいわ。どんな名医でも人徳がなければ治る気がしないし、感謝の念が起こらない。」
と聞いて、こないだ読んだダライラマ法王の本（「ダライ・ラマ　心の自伝」←お求めの方どうぞ）を思い出しました。
一人の人間として生まれ、その根本的な価値は何かと言うと他者への愛、ということをお説きになられているところのたとえ話に似ていました。お医者さんが患者さんに対してこの病気を治そうという熱意や、患者さんのためという思いやりがあれば、患者さんの心は癒されるもの。どんな名医を言われていても、診断は正確、薬の処方も申し分なかったとしても、その人に患者さんに対する思いやりがなければ、患者さんは不安になるもの。
法王様が常々仰言ることは、とにかく他者のことを思え、他者への愛情や尊敬が、自分の永遠の幸せとなるのだ、と。自分自分と自分ばかりのことを言っていると、仮に自分の願いがかなったとしても、それは一時的な幸せであり、そこに執着の心がわいて三毒（貪り、怒り、愚かさ）の心に支配されてしまい、自分の幸せはどんどん遠のいていく。しかし、他者への愛情を持って行動すると、相手も自分へ愛情を注いでくれるのです。それが一人の人間としての普遍的な幸せであると。
一人一人の他者に対する愛情が、世界平和につながると法王様は信じておいでですし、私もそう信じております。そのためには、我々自身が普段から心のコントロールをしっかりし、他者への思いやりを忘れないよう、心がけていきたいと思います。
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		<title>神話会</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Sep 2011 00:45:34 +0900</pubDate>
		<dc:creator>快遍</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[今日松江にて、少人数による神話についての勉強会があり、参加してきました。講師は県立古代出雲歴史博物館の専門学芸員の森田さん。
昨日と今日の2日間にわたって行われたこの小規模講演会は、松江しんじ湖温泉駅隣の喫茶店「フルール」にて行われ、この温泉街圏域で温泉旅館に泊まられたお客さんが、気軽にこの喫茶店に立ち寄り、出雲神話について話が聞けたらいいな、という発想から試験的に行われたもの。で、私は今日だけの参加でしたが、昨日は10人くらいの集まり、今日はと言うと6人、しかも神仏霊場関係者（笑）ま、身内だけの気楽な講演会といった感じです。
で、その内容について、古事記も日本書紀も読んだことない自分にとっては色んな発見があったので、備忘のために残そうと思って久々のブログアップの段に到ったわけです（冷汗）
昨日のお話は、古事記と日本書紀の性質の違いのような話であったそうだが、今日は具体的に素戔嗚尊（スサノオノミコト）にしぼって話されました。素戔嗚尊はご存じ、八岐大蛇（ヤマタノオロチ）退治のヒーローとして登場しますが、全国的にはどんなイメージで捉えられているかわかりませんが、少なくとも出雲地方では荒くれ者で有名。
父であるイザナギを困らせ、姉である天照（アマテラス）を困らせて（怒らせて）しまって天照は岩屋戸に隠れてしまい、世の中は暗闇になった話も有名。この一件が落ち着いたところでスサノオは地上世界に追放され、降り立った地が出雲の地。そしてオロチ退治と話は続くが、このようなスサノオにも、古事記と日本書紀、全国的にも稀に見る、ほぼ完全な形で残されている出雲の風土記、これら３つの古代歴史書にでてくるスサノオはそれぞれ違った形で登場するという。ここからが私が興味を魅かれた話。
古事記に出てくるスサノオは、大体のストーリーは先述の通りだが、父イザナギから海原を治めよという命令をだされるが、スサノオはそれを拒み、足をバタバタさせて泣き喚き、母のいる根の国に行きたいという（この場合の母はイザナミになるのかと言ったらそうではないと思うが）。それで根負けした父イザナギは「好きにせよ」と言って息子を追放するわけで。
又、オロチ退治をした折に尻尾を切ったらでてきたという見事な剣、いわゆる草薙の剣を、追放されたはずの天上に奉る。
こういった姿のスサノオは、何か今でいうワンパクガキ大将にも見えてくる。
一方日本書紀では「無道」と記されるくらい、悪者扱いにされる。オロチ退治は同じように出てくるが、とにかく悪者になっているようだ。
そして出雲國風土記には、ゲゲゲで有名な安来の地名の由来にまつわるエピソードとして、「我ここに来て心安らかなり（原文ではありませんのであしからず）」と言ってみたり、クシイナダヒメと夫婦の契りを結んだ須賀の地で「わが心すがすがし」と言ったり。他にも３つくらいのエピソードがあるが、非常に穏やかな感じのイメージ。
これは私的意見だが、これらのことを踏まえて読み取れるのは、それぞれの書物の制作当時の政治情勢によって、神話も色んな話しになってくるのだなぁと。
ただ、講演が終わったあとのフリートークでの話でしたが、実話と違って神話はロマン的要素がでているので、色んな見方ができる。だからある人物を対象にしても、その見方は色々な見方で見ることができる。極端に言えばヒーローに見えたのが悪人になったり。はっきりした実話を基にした話はもちろん現実そのものを表現しているので自分に置き換えてみることができ、面白いかもしれないが、現代の価値観では考えられないような神話の世界では、そのアヤフヤ加減がまた色んな発想豊かになって、話も色んな話をつくれるので面白い、ということになるのである。案外、今の日本人に求められているのは、この発想力豊かな人間性なのかもしれません。
そして話は県の観光産業へ。
来年は古事記編纂1300年にあたる年なので、それに向けて県も様々な事業を展開しております。http://www.shimane-shinwa.jp/
ただ、県がこれを機に観光名所としようとしているのは、古事記日本書紀に出てくる土地を廻るツアーとか。でも神話だからはっきりしない部分もあるし、はっきりしている地域に行ったとしても、そこにあるのは出雲大社のような大きな神殿があるわけでもなく、ただの古くなった祠があったりとか、しめ縄でくくられた岩や木であったり。或いはまわりの田舎の自然豊かな風景であったり。ま、聖地を選定するのは難しいでしょう。ま、今流行のパワースポットブームに乗っかれば一時的には日の目を浴びることができるであろうが。だけどそれを持続することは難しいだろう。
だって、例えばお釈迦様の聖地は、お生まれになったルンビニ、覚りを開かれたブッダガヤ、初めて説法されたサールナート、涅槃に入られたクシナガラなど、はっきりしたものが残っているので聖地化しやすい。弘法大師にしても、お生まれになった四国は讃岐の国、真言密教の伝授を受けた唐の都長安（現西安）の青龍寺。日本に帰って密教を広めた京都高尾や東寺、或いは密教道場を築き上げられた高野山などが、確固たるお大師さんの聖地になってるわけです。
ところが古事記日本書紀にでてくる出雲神話を聖地化するには、あまりにも漠然としすぎていて、難しいことがわかる。だから観光産業は発展しないのかな？ただ、私が思うに、神話にでてくる出雲圏域そのものが聖地ではないかと。
人はとかくはっきりした場所を求めがちです。例えば、「スサノオが降り立った場所は何処ですか？」とか、「オロチ退治をした場所はどこですか？」とか、ある特定の場所を聖地と崇めたがるのでしょう。ところが、出雲神話に本当に基づくならば、スサノオが降り立った場所は、出雲の斐伊川であり、広島の江の川であったり。で、それぞれの場所でオロチ退治伝説もあります。だから「ここ」という特定の場所は言えないのです。要はYesでもなければNoでもないのです。これが出雲のいいところ、出雲人の気質にもなってるかもしれませんね。
で、このような出雲人を、ご当地出雲弁にて表現するならば、「おんぼら」でしょうかね。おんぼらとした出雲人。いですね~。意味不明の方はどうぞググってください。ただし、ググった先のサイトでも、必ずしもこの表現が適切でないかもしれませんので、あしからず。この「おんぼらと」というのは、なかなか現代語訳にはしにくいですね。
そう言えばさっきのフリートークでこんな話も出ました。スサノオは島根の奥出雲とか邑智郡とか雲南とか須佐とか、中山間地域といわれる地域にでてくるわけです。新羅からきたという言われもありますが、基本山んちゅ。で、実はこれらの山々をつないでいたのもスサノオではないかと。降り立った地が斐伊川か江の川か一つとっても、江の川の上流の山と、斐伊川上流の鳥上山の二つの接点になってるのがスサノオになってくるのです。昔から山のある麓と、反対側の麓には、必ず交流できるような山道があったのです。今は荒れているところでも、昔はあったという言い伝えは今でも残っているので。一番わかりやすいのは広島県の三次から岡山県の新見、同じく岡山県の津山と、これら中国山地のど真ん中を突き抜ける線路があるというのも、やはり昔から交流があったからではないか。そしてそこに見え隠れしてくるのはスサノオの存在。ちなみに今はもうないが備後の国の風土記にもスサノオ伝説が載っているらしい。続日本紀に、「備後の国の風土記に曰く」という件があるそうな。
そんなロマンたっぷりの今日の夜でした。で、最後に宣伝。
今日お話しいただきました森田さんには、今度出雲國神仏霊場が主催する「おもてなし講座」でも講演をお願いしております。是非ご来場ください。面白いですよ~↓
http://www.shinbutsu.jp/178.html
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		<title>原発について</title>
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		<pubDate>Sun, 24 Jul 2011 18:26:31 +0900</pubDate>
		<dc:creator>快遍</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[東日本大震災から4か月以上が経った今、未だ避難所生活を続けている方があり、また、この震災で起きた福島第1原発事故により、被害に遭われた方、それは半径30キロ圏内の住民のみならず、この度の牛肉問題にもでているように、全国規模でその影響は出ています。特に原発問題に関してみても、この度の大震災は世界中に影響を及ぼしていると言っても過言ではないでしょう。
私自身、この震災が起こる前まで、原発に関しては無知に等しい状態でした。当たり前のように電気を使い、当たり前のように原発に頼りきっていたのです。以前より原発に対して反対運動をしていらしゃった方はたくさんあると思いますが、私のように今まで何も考えてこなかった人もたくさんいらっしゃるでしょう。しかしながら、震災後の色んな情報、テレビや新聞、インターネット、ことに最近流行している簡易ブログ「twitter（ツイッター）」から得る情報は大きかったと思います。私の目や耳に入ってくる情報を整理し、いろいろと考えさせられることが多かったです。家族でこの話題に触れることも多くなりました。
やはり原発はなくしていくべきではないのか。
そんな中、先月の自治会で配られた地元給下地区の新聞に、地元市議会議員、藤原信宏氏がいい記事を書いてくださった。
最初にこの未曾有な危機にもかかわらず、復旧・復興への国民の願いや放射能に対する不安にも応えず、政局をにらんだ泥仕合をしている永田町全体を批判した後、
「それにしても『核エネルギーの世界は恐ろしい』と改めて知った。原子より一段階下の核のレベルは人間の手に負えないものだった。原発が生み出す放射性物質は永遠に保管するしかないという。数百期の原発を数百年に亘って安全に運転し、廃棄物を永遠に封じ込める能力は人間にはなかったのだ。人の力で制御できないものを造ってはならなかった。風力や太陽光、波や地熱。そうした再生可能エネルギーへの転換の声が一気に噴き出した。電力不足が懸念される中で、直ぐには脱・原発とはいかないまでも、もう化け物相手はごめんである。」
と述べられ、最後に「この度の原発事故には、徹底的な原因究明、対策が必要だ。だが、その結果を待ってからではなく、原発そのものを今後どうするのか、そろそろ本格的に議論を始めるべき時だと思う。」と締めくくられました。
ちなみに峯寺がある三刀屋町給下地区は、島根原発の位置から20キロ～30キロ圏内に入っているそうである。なのでこの度の事故は他人ごとではない。
次に、岐阜県内にあるとあるお寺から届いた広報誌の中にも、こんな記事が載せられていた。
「今回の原発事故の問題は、震災等に対する原子炉運転の安全性の問題はもちろんですが、原子炉を動かした後に残る大量の高レベル放射性廃棄物である使用済み核燃料と、その後始末をどうするかという問題を含め、今後エネルギー政策について、見直しを迫られているという図式になっています。使用済み核燃料の問題は、これまでも指摘され続けてきたものですが、その実態について国民に対し、積極的な説明はされませんでした。（中略）。回収した後に残る高レベルの放射性廃棄物は数万年以上にわたり人間の生活環境から遠ざける必要がありますが、その技術は未だ確率されておらず、処分の目処は全く立っていないといっても過言ではありません。これは、日本の原発推進論者が、『原子力による発電から燃えかすの処理』までの全体を見渡しながら、わざと目をつぶり見切り発車をした結果であり、日本原子力は&#8221;トイレなきマンション”と言われています。今回の地震、そして原発事故を受けて、現在の原子力政策は一度立ち止まって見直す必要があると感じます。」
今まで私のように無関心だった人が今回の原発事故によって、おそらく大多数の人が原発について真剣に考えようとしていると思います。
まず、人間にとって我々が本当に必要としているものは何か、地球を汚染して人を苦しめてまでの自分の贅沢か、苦しんでいる人のために役立てるような自分の広い心か。今一度足元をよくみて、自分の心の価値を探っていこうと思います。
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		<title>菩提樹</title>
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		<pubDate>Wed, 29 Jun 2011 11:39:10 +0900</pubDate>
		<dc:creator>快遍</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[御無沙汰しておりました。
最近もっぱらツイッターのつぶやきしかしていないので、こちらがおろそかに。。。と言ってもつぶやきもたいしてしておりませんが。
ちなみに↓
https://twitter.com/#!/mineji415
ツイッターのアカウントです。よかったら覗いてみてください。
さて、私は今年で入山して丸10年になります。早いもので。
で、この10年間過ごしていて初めてしりましたが、菩提樹って、こんなきれいな花が咲くのですね。しかも馥郁とした香りに包まれております。

全体像ではわかりにくいかもしれませんが、アップにするとこんな感じ↓


我ながらいい写真がとれたなと。。。そんなことないですね。
菩提樹と言えば、お釈迦様がインドのブッダガヤ、菩提樹の下で瞑想をされ、覚りをひらかれたというお話があります。ですからお寺に行くとわりとこの菩提樹はあったりするので、あまり珍しくないと思っていましたが、皆さん結構この木の下で立ち止まってご覧になります。もっとも、インドにある菩提樹と日本の菩提樹は違う、と聞いたことがありますが。
住職も言っていましたが、こんなに花がつくのは見たことがないと。そういえば今年は春から異常な程に花が咲き誇っていましたね。スミレなんて斜面がスミレの紫一色になったのは初めてみました。
とまぁ、ここで菩提樹に関するうんちくでも語れれば面白いのですが、あいにくそこまでの知識がないですので、誰か教えてください（涙）
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